捕虜になった臨海君
世子の候補は2人いました。臨海君(イメグン)と光海君です。2人とも同じ側室から生まれた兄弟で、臨海君が兄です。
伝統からいくと、世子には兄の臨海君がふさわしいのですが、性格が粗暴でした。一方、弟のほうが優秀だったために、光海君を推す声が強くなり、最終的に宣祖は彼を世子に指名しました。
当時、世子の決定には中国大陸の明の許可が必要でした。その明の許可を待っている段階で、1592年に朝鮮出兵が起こり、朝鮮半島が戦乱に巻き込まれました。
その際に、臨海君が加藤清正の軍の捕虜になってしまいます。地方に行って義勇軍を集めようとしたときに臨海君がつかまってしまい、以後も捕虜として連れまわされました。臨海君にとっては大変な屈辱であり、釈放された後も酒浸りになって生活が乱れてしまいました。(ページ3に続く)
貞明(チョンミョン)公主の生涯1!『華政』(ファジョン)の主人公