大北派と小北派の対立
宣祖の治世時代には、徐々に東人派が優勢になり、西人派は劣勢に立たされた。
完全に主導権を握った東人派なのだが、内部の意見の対立から南人派と北人派に分かれてしまった。
このときには、南人派より北人派の勢いが強かった。つまり、北人派の天下になりそうだったのだ。しかし、今度は宣祖の後継ぎをめぐって内部で対立が起きてしまった。
ついに、北人派は大北派と小北派に分裂したが、光海君を支持したのが大北派で、光海君の異母弟の永昌大君(ヨンチャンデグン)を支持したのが小北派だ。
この当時、西人派はまだ派閥として存続していたが、1608年に光海君が即位すると、力をすっかり失ってしまった。(ページ3に続く)