死罪となった貴人趙氏
1646年1月3日、仁祖の食膳にあったアワビの焼き物に毒が盛られていることがわかり、姜氏が真っ先に疑われた。しかし、姜氏は呪詛事件で監視を受けていたため、彼女が毒を仕込むのは不可能だった。宮中の多くの人たちは趙氏の陰謀だと思っていたが、仁祖の寵愛を受ける彼女の立場は強かった。
趙氏の指示で再び姜氏に仕える女官が拷問を受けたが、ついに1人の女官が観念して、姜氏の指示で毒を盛ったり、呪詛を行なったことを認めた。
1646年2月3日、仁祖は姜氏に死罪を言い渡した。そのことに反対していた高官たちは、仁祖の側近である金自点(キム・ジャジョム)によって抑えられた。この金自点は、仁祖が1623年に起こしたクーデターに協力した功臣の1人で、常に趙氏の手助けもしていた。その結果、姜氏は1646年3月13日に実家に帰された後で自害させられた。
影響は姜氏の家族や息子たちにも及び、母や兄弟たちは処刑され、3人の息子たちは済州島(チェジュド)に流された
一方、仁祖の後ろ盾を得ていた趙氏と金自点。特に金自点は官僚最高位の領議政(ヨンイジョン/総理大臣)に出世し、趙氏は従一品の貴人(キイン)に昇格した。この従一品とは、18段階に分けられた女官の品階の1つだ。一番高い品階が正一品で、その次に高いのが従一品である。
しかし、1649年4月下旬から仁祖は高熱を発して伏せてしまう。医官の李馨益が鍼治療を行なうも病状はまったく回復せず、仁祖は5月8日に世を去った。強力な後ろ盾を失った趙氏と金自点。2人の運命は、仁祖の二男である凰林が17代王・孝宗(ヒョジョン)となったことで大きく変わる。
孝宗が警戒したのは、仁祖に取り立てられたことで強力な権力を握っていた金自点だ。孝宗は周到に準備して、政治的に対立することの多かった金自点を流罪にした。しかし、そのことに不満を抱いた金自点が謀叛の動きを見せると、孝宗は先手を打って処刑した。
1651年11月、大妃(テビ/王の母)である荘烈(チャンニョル)王后が告発をした。その内容は、貴人趙氏が自分と孝宗を呪詛しているというものだった。
貴人趙氏はその事件が起こったことで追い込まれていて、彼女に仕えていた女官が何人も拷問にかけられ、耐えきれなくなった女官の1人が自白した。その結果、首謀者と見なされた貴人趙氏は、孝宗から死罪を言い渡され、1651年12月に賜死(ササ/王から渡された毒薬を呑んで自害すること)によって世を去った。
まさか今まで無視し続けた荘烈王后から強烈な仕返しを受けるとは、貴人趙氏にとって想像もできなかったことだろう。
文=康 大地(コウ ダイチ)
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