異国の文化にかぶれた昭顕
1641年11月7日、趙氏の立場がさらに強くなる出来事が起きた。彼女は2人目の王子となる楽善君(ナクソングン)を産んだのである。しかし、正室の荘烈王后はいっこうに仁祖の息子を産む気配がなかった。
仁祖は変わらず趙氏を愛していた。その立場を利用して、彼女は王が昭顕と姜氏の行状に疑いを持つように報告した。その中には、昭顕のことを高く評価した清が、朝鮮王朝の王を替えようとしている内容もあった。
1645年2月、昭顕が清での人質生活を終えて8年ぶりに帰ってきた。昭顕は、父親の仁祖が自分のことを疑っているとは知らず、目の前で清のすばらしさを語り、清の文化を朝鮮王朝にも取り入れたいと報告した。それを聞いた仁祖は激怒して、昭顕に向かって硯(すずり)を投げて部屋から追い出した。8年ぶりの親子対面の結果は最悪なものとなった。
仁祖は、昭顕が帰国したのと同時に体調を崩してしまう。その治療を行なったのは、趙氏の実家に出入りしていた医官の李馨益(イ・ヒョンイク)だった。
食欲の減退と不眠に悩まされている仁祖。その症状が6年前と似ていることから、李馨益と趙氏は「誰かが殿下に呪詛をかけているのでは」と疑った。
文=康 大地(コウ ダイチ)
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