燕山君が起こした大事件
尹氏が廃妃として死罪になったことは、世子にも影響を及ぼした。高官たちは「廃妃の息子を次の王にしてはいけません」と反対意見を出した。しかし、成宗は息子が長男であることを重視したため、世子が1494年に10代王・燕山君となった。彼は母親が死罪になったことを知らないまま育っていた。なぜなら、父親の成宗が「尹氏の死について言ってはならない」と宮中で口止めしていたからだ。
それにもかかわらず、出世を望んでいた奸臣が燕山君にすべて話してしまう。本当のことを知った彼は激怒し、母親の死に関わった者たちを次々に殺害していった。もちろん、その中には成宗の側室だった厳氏と鄭氏もいた。
そんな虐殺事件を起こして母の仇を討った彼は、庶民に落とされた尹氏の身分を回復し、立派なお墓を用意した。
しかし、1506年は燕山君がクーデターで王宮を追われて江華島(カンファド)に流された。彼が30歳で世を去ると、尹氏の身分は再び庶民となり、お墓も粗末なものになってしまった。
尹氏の人生は惨めなものではあったが、その原因となったのは彼女の嫉妬心である。自業自得と言わざるを得ないかもしれない。
文=康 大地【コウ ダイチ】
王の顔を引っかいた廃妃・尹氏(ユンシ)/朝鮮王朝悪女列伝1
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