第25回 王の顔に傷をつけた王妃
廃妃(ペビ)・尹(ユン)氏は、10代王・燕山君(ヨンサングン)の母親である。しかし、王である成宗(ソンジョン)に対して大変な無礼を働いてしまった彼女は、王宮を追い出されてしまう。(廃妃・尹氏については、韓国時代劇の史実とフィクションの違いを解説した康熙奉〔カン・ヒボン〕著・実業之日本社発行の『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』で紹介しています)
嫉妬深い性格
尹氏は当初は側室だったが、1474年に成宗の最初の正室である恭恵(コンヘ)王后が18歳で早世したことにより、二番目の正室として迎えられた。しかし、彼女は、育ちの貧しさと野心的なことを理由に、成宗の母親の仁粋(インス)大妃から嫌われていた。さらに、仁粋大妃は「恭恵王后が亡くなったのは尹氏のせいだ」と思いこんでいて、彼女のことをとても憎んでいた。それには次のような理由がある。
仁粋大妃は、恭恵王后をとても可愛がっていたが、成宗は美貌の持ち主である尹氏だけを寵愛した。それが原因で、恭恵王后は精神を病んでしまったのだ。まさに仁粋大妃と尹氏の仲は最悪だった。
王妃となった尹氏は、1476年に成宗との間に生まれた息子は、成宗の後継者として世子(セジャ)に指名された。すると、彼女の嫉妬深い性格が表に出てきて、側室に強い警戒心を抱くようになった。その一方で、成宗は、側室の厳(オム)氏と鄭(チョン)氏のところへ通うようになってしまい、王妃のもとを訪れなくなった。
側室の2人は尹氏のことを嫌っていて、彼女の悪口を成宗の母親である仁粋大妃に言った。ここに王をめぐる女同士の争いが勃発した。(ページ2に続く)
王の顔を引っかいた廃妃・尹氏(ユンシ)/朝鮮王朝悪女列伝1
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