日本のコリアをゆく(静岡・清見寺編2)

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朝鮮通信使が愛した清見寺の庭

清見寺の庭の美しさ

朝鮮王朝側も家康の功績を評価し、後に来日した朝鮮通信使の中には、家康が祀られている日光東照宮まで行って家康廟の前で儒教式の祭祀儀礼を行なった者もいた。

このように、家康は朝鮮通信使と密接な縁を持っていたのだが、清見寺を見学していて家康の「手習いの間」があるのを知って驚いた。

彼は幼少時代に今川義元の人質として駿府の臨済寺に住んだが、同じ宗派の清見寺を訪ねていたという。その「手習いの間」は北側を向いた狭い部屋だが、清見寺の庭を一望することができる。

のちに、家康はこの庭を愛し、隠居して大御所になってからも、しばしば清見寺を訪ねた。駿府城から石を移して配したり、梅や柏などを手植えしたという。

私は「手習いの間」の近くに佇んで、しばらく庭を見ていた。

朝鮮通信使の一行が清見寺に宿泊したのは最初の頃だけだったが、この地の景観のすばらしさは有名だったので、代々の朝鮮通信使は清見寺によく立ち寄り、しばしの休憩を取った。




その際に朝鮮通信使の随員と清見寺の人々が活発に文化交流を行なったので、今でも清見寺には数多くの書画が残り、その一部を木版に複写して大方丈に掲げている。

さらに、朝鮮通信使の一行を喜ばせたのが、清見寺の庭の美しさだった。自然の傾斜地を巧みに利用しているが、奇岩の間を通ってくる瀑布も味わいがある。

それらを鑑賞したあと、私(康熙奉〔カン・ヒボン〕)は眺めのいい部屋に行って海の方向を見た。

かつては清見潟と呼ばれていて、西行法師も「清見がた沖の岩こす白波に 光をかはす秋の夜のつき」と詠んだとい海岸線も、今はバイバスの高架道路や工場などによってまったく見えなかった。

朝鮮通信使がどれほど風景に感嘆して「東海の名勝」と褒め讃えたのか。今では想像すらできなかった。
(ページ3に続く)

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