互いにあざむかず争わず
江戸時代は鎖国と言われています。実際にオランダや中国とは、長崎において限定的な貿易しかしていませんでしたが、徳川幕府と朝鮮王朝の間では正式な国交が結ばれていました。つまり、江戸時代に日本が唯一、国家として交流を続けていたのが朝鮮王朝だったのです。その象徴であった朝鮮通信使の足跡が瀬戸内海や東海道などに数多く残っています。
それでは、なぜ江戸時代に両国が友好を保てたのでしょうか。
1つは、徳川家康の功績が大きかったと言えます。徳川幕府では、家康が「神君」と呼ばれるほど崇められていましたので、徳川将軍はずっと家康を見習いました。
3代将軍の家光は徳川幕府を盤石にした人ですが、彼は祖父である家康を本当に崇拝していました。その気持ちが強かったからこそ、家康が始めた朝鮮王朝との交流を大事にしました。
結果的に家光は熱心に朝鮮通信使との交流を促進させました。このように、家康や家光といった重要な将軍たちが朝鮮王朝との関係を良好に導いたので、以後も徳川将軍は朝鮮王朝と交流を続けました。朝鮮王朝も、北の異民族から攻められることが多く、東の隣国の日本とは友好関係を築いておきたかったのです。
ただし、朝鮮通信使を迎えるにあたり莫大な経費がかかったので、幕府や沿道の各藩の負担は大変でした。それで、朝鮮通信使を招くことが徐々に減り、最後の12回目は対馬で国書の交換をするという易地聘礼を行なっています。
さらに、1867年に幕府は朝廷に大政を奉還して、徳川政権が終わってしまいます。朝鮮王朝としては徳川幕府と仲良く交流していましたので、その徳川幕府を滅ぼしたということで、明治新政府との関係は良くありませんでした。
改めて考えてみると、1603年に徳川幕府ができてから1867年に徳川幕府が終わるまでの264年間、日本と朝鮮半島の仲がよかったというのは特筆すべきことです。世界のどの地域でも隣国同士というのはいろいろとトラブルを抱えるものですが、徳川幕府と朝鮮王朝はお互いに信頼しあっていました。両国の友好に貢献した雨森芳洲は、『互いにあざむかず争わず』ということを信条にしていましたが、この言葉が本当に生きていたと思います。お互いに信頼関係をもって隣国と付き合ういうのが、平和の一番の礎ではないでしょうか。
文=康熙奉(カン・ヒボン)
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時間:14:00~16:00(途中休憩有)
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