韓国の激変と共に歩んだ東方神起ユンホの30年

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光州でワールドカップを開催

光州に日本人が大挙してやってきたのが2002年6月だった。ユンホが16歳のときにFIFAワールドカップ日韓共催大会が開催されたが、韓国側10カ所の開催都市に光州も含まれていた。市内のワールドカップ競技場では世界が注視する試合がいくつも行なわれた(当時のユンホはデビューに向けて歌と踊りのレッスンに明け暮れていたのだろうが……)。

同じ共催国の日本ではチケットの争奪戦が激しかったが、韓国ではそれほどでもなく、「生でワールドカップを見たい」という日本人の相当数が韓国に向かった。私(康熙奉〔カン・ヒボン〕)も2002年6月に光州でワールドカップを観戦したが、競技場にあまりにも多くの日本人がいて驚いた記憶がある。




あのとき、日本から来た観客は、光州に来て何を思ったか。数年後にこの土地から素晴らしいスターが世に出ることは想像していなかっただろうが……。

ワールドカップ開催から1年半後の2003年12月、「東の方角から神が起きてくる」という壮大な叙事詩を彷彿させるグループが誕生した。東方神起である。

彼らの活躍は今さら説明するまでもない。

韓流ブームと一線を画す形で日本で大人気を獲得したのも、すべて彼らが持つ実力のなせるわざであっただろう。(ページ4に続く)

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