風水にかなった地理
百済寺は、今はもう建物の礎石以外は何も残っていない。その跡地に立ち、丘の上から枚方市の住宅地をながめた。
枚方市は戦前、砲弾の製造工場が多く、日本の砲弾のほぼ半分を製造する軍需産業の町だったという。
戦後は交通の便が良いことから、大阪と京都の間の住宅地として発展した。歴史的な文化財も多いので、大人の遠足にちょうどいい町である。
私は、百済王神社の拝殿を見たあと、帰路についた。よく見ると、京阪電車の線路に平行して天野川が流れていた。川幅は狭いが川岸に道が整備されていて、ランニングをしてる人の姿も見える。
天野川にかかる橋の上から、百済寺の跡地の方向を望む。地形のうえでは、丘があって、その前を川が通っている。
朝鮮半島の風水で言うと、山を背にして前に川という「背山臨水」に当たり、地理的に優れた場所ということになる。
それほど、天野川の存在が大きい。
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