恐るべき継続性
族譜とは何か。
簡単に言えば、その一族の詳細な家系書である。
私の一族が所有する族譜は、千ページの書物が4冊そろって成り立っている。それを読むと、28代の私から初代まですぐにさかのぼれる。
ただし、勘違いしないでほしい。私の一族が特別に族譜があるのではない。韓国のすべての一族に族譜があり、それぞれの子孫が今も所有している。族譜がない一族は、韓国ではありえないのだ。
しかも、族譜は30年に一度くらいの割合で書き直されてきた。各一族には「宗親会」と呼ばれる長老会のような組織があり、そこが族譜の編集を受け持つのである。
日本では、数百年にわたる家系図がある家のほうがずっと少ないだろう。一般的な家庭なら、5代以上も前の先祖の名前を知らない場合が多いはずだ。
しかし、韓国では自分が一族の30代目であろうと40代目であろうと、先祖をどこまでもさかのぼって初代までたどりつくことができる。
すべては、何百年にわたって族譜を延々と編集し続けてきたおかげである。そのために、どれだけの労力が費やされてきたことであろうか。
気の遠くなるような話だ。その労力を他のことに使えば、どれほど国土の発展に結びついたことか。
しかし、経済の停滞をいかに招こうとも、当時の人々は先祖から族譜を受け継ぎ、さらに子孫に継承していった。
私も族譜を読む度に、この膨大な記録を作り続けてきた人々の継続性にただ驚かされるのである。
(文=康 熙奉〔カン・ヒボン〕)