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タグ:朝鮮王朝
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中宗(チュンジョン)が失敗したこととは?
中宗(チュンジョン)は、異母兄の燕山君(ヨンサングン)が暴政の末に廃位となったので、1506年に「代理の王」のような形で11代王になった。それが、彼にとっての苦悩の始まりであった……。 … -
張禧嬪(チャン・ヒビン)はこのように生きた!(後編)
そんな張禧嬪(チャン・ヒビン)にとってショックな出来事が起こる。1694年9月20日に淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏が息子を産んだのだ。この息子が、後の21代王・英祖(ヨンジョ)になる延礽君(ヨニング… -
張禧嬪(チャン・ヒビン)はこのように生きた!(中編)
政権の内部では仁顕(イニョン)王后が属する西人派(ソインパ)と、張禧嬪(チャン・ヒビン)が属する南人派(ナミンパ)が派閥の主導権争いをしていた。最初は、仁顕王后の後ろ盾があったことで優位にたっていた西… -
張禧嬪(チャン・ヒビン)はこのように生きた!(前編)
朝鮮王朝三大悪女の1人として知られている張禧嬪(チャン・ヒビン)は、1659年に生まれ、女官として王宮に入った。とても美しい女性として評判だった張禧嬪が、19代王・粛宗(スクチョン)に見初められたのは… -
昭憲王后(ソホンワンフ)の人生は何だったのか
ハングルを作ったことで有名な4代王・世宗(セジョン)。その彼を支えたのが妻の昭憲(ソホン)王后(1395-1446年)である。彼女が王妃になったことで実家が大いに繁栄したが、その後、まるで奈落の底に落… -
貞純王后(チョンスンワンフ)の人生は何だったのか
1800年、名君として名高い22代王・正祖(チョンジョ)が亡くなり、その息子が10歳の若さで23代王・純祖(スンジョ)として即位した。幼い純祖が王位についたのは、正祖には他に息子がいなかったからだ。し… -
淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)の人生は何だったのか
19代王・粛宗(スクチョン)は、張禧嬪(チャン・ヒビン)の他に淑嬪(スクピン)・崔氏(チェシ)〔1670年~1718年〕との間にも息子をもうけた。それが21代王・英祖(ヨンジョ)である。英祖は庶民の生… -
張禧嬪(チャン・ヒビン)の人生は何だったのか
貧しい家庭に生まれた張禧嬪(チャン・ヒビン)〔1659年~1701年〕は、ずっと不遇の生活を送っていたが、偶然にも宮廷で働けるようになった。 張禧嬪の野望 王妃たちの世話を… -
文定王后(ムンジョンワンフ)の人生は何だったのか
11代王・中宗(チュンジョン)には3人の妻がいた。最初の妻は父が燕山君(ヨンサングン)の側近だったために追放された端敬(タンギョン)王后。2人目の妻は12代王・仁宗(インジョン)を産んですぐに亡くなっ… -
端敬王后(タンギョンワンフ)の人生は何だったのか
10代王・燕山君(ヨンサングン)の暴政は、臣下たちのクーデターで終結した。彼の後を継いだのは異母弟の11代王・中宗(チュンジョン)。自分の意思とは関係なく臣下のみこしに乗って王になった彼は、強引な政策…