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タグ:朝鮮王朝
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李芳遠(イ・バンウォン)が即位して太宗(テジョン)になった!
1392年に朝鮮王朝を建国した李成桂(イ・ソンゲ)。彼が初代王になる過程で、政敵の排除などで一番貢献した息子が五男の李芳遠(イ・バンウォン)だった。しかし、李成桂が後継者に指名したのは異母弟だった。 … -
太宗(李芳遠)の妻だった元敬王后はどんな王妃だったのか
1365年に高麗王朝の名門の家に生まれた元敬(ウォンギョン)王后。彼女は、1382年に李成桂(イ・ソンゲ)の五男である李芳遠(イ・バンウォン)と結婚するが、それは朝鮮王朝建国のために有力な後援者を探し… -
英祖と思悼世子の物語5「不可解な生母の意図」
米びつに閉じ込められた思悼世子(サドセジャ)の生死はどのようになっていたのだろうか。食料も水も与えられず狭い空間に閉じ込められたままの思悼世子は、まだ生きていたのかどうか。それは誰にもわからないことだ… -
英祖と思悼世子の物語4「米びつに閉じ込められた世子」
英祖(ヨンジョ)は意地になって、「たったいま世子(セジャ)を廃したのだが、史官はちゃんと聞いていたのか」と大声を出した。史官といえば正式な記録を残す官僚である。英祖は、自分の言葉を正式な文書に残すこと… -
英祖と思悼世子の物語3「自決の強要」
重臣たちは執拗に、思悼世子(サドセジャ)を告発した羅景彦(ナ・ギョンオン)の処罰を求めた。彼らは官僚機構の秩序を守るためにも羅景彦を生かしてはおけないと考えていたのだが、果たして理由はそれだけだったの… -
英祖と思悼世子の物語2「告発された世子」
思悼世子(サドセジャ)をめぐって朝鮮王朝が大混乱に陥ったのは、1762年5月22日のことだった。世子が住む東宮(トングン)で働く羅景彦(ナ・ギョンオン)という者が、「世子が内侍(ネシ/王宮に仕える宦官… -
英祖と思悼世子の物語1「老論派の陰謀」
朝鮮王朝で最大の悲劇とも言える「世子の米びつ餓死事件」(1762年)。この事件の当事者は英祖(ヨンジョ)と思悼世子(サドセジャ)だが、どうしてこんな悲劇が起こったのか。5回にわたって記事を掲載します。… -
本当に文字を作ってしまった国王!
日本は平安時代に漢字からひらがなとカタカタを派生させて、人々が発音する言葉をうまく表記する手段を得た。漢字だけだったら、とうてい日本人の発音を表記できなかっただろう。一方の朝鮮半島。15世紀になっても… -
『不滅の恋人』が描く歴史が面白い
『不滅の恋人』が描く時代は、歴史背景からすると1450年代前半だ。ドラマに登場するイ・ガンは歴史的に首陽大君(スヤンデグン)のことで、イ・フィは安平大君(アンピョンデグン)に該当する。この2人は激しく… -
悲劇の五大世子!
朝鮮王朝で国王の正式な後継者のことを世子(セジャ)と言うが、国王の座を約束されていながら即位できなかった5人を取り上げてみよう。それは、李芳碵(イ・バンソク)、懿敬(ウィギョン)世子、昭顕(ソヒョン)…