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カテゴリー:歴史物語
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日韓の二千年の歴史27/日韓併合
日本と清は1885年4月に天津条約を結んだ。この条約では、「朝鮮半島から日本と清の両国軍隊が撤退すること」「朝鮮半島に再び兵を出すときは相互通告すること」が取り決められた。その年の夏に、興宣大院君(フ… -
日韓の二千年の歴史26/政変に揺れる朝鮮王朝
1863年、朝鮮王朝で26代王の高宗(コジョン)が即位した。彼はまだ11歳だったので、父の興宣大院君(フンソンデウォングン)が執権となって、実際の政治を動かすようになった。 … -
日韓の二千年の歴史25/善隣関係の終焉
朝鮮通信使の招聘に消極的だった松平定信が政治の表舞台から去っても、招聘問題は進展しなかった。朝鮮王朝は徳川幕府に不信感を持ち、あえて使節を派遣しようと思わなかった。こうして空白期間は延々と続き、気がつ… -
日韓の二千年の歴史24/途絶えた交流
1764年に江戸時代で11回目にあたる朝鮮通信使の来日があったが、以後はまったく途絶えてしまった。そこには一体、どんな事情があったのだろうか。 松平定信の意向 徳川将軍が代… -
日韓の二千年の歴史23/雨森芳洲と申維翰
1607年に始まった江戸時代の朝鮮通信使。17世紀には合計で7回も朝鮮通信使が来日している。徳川幕府の創設者の家康と基盤を磐石にした家光。この2人の大物将軍が朝鮮王朝との善隣関係に力を注いだことが17… -
日韓の二千年の歴史22/朝鮮通信使
朝鮮通信使が来日した年を見てみると、順に1607年、1617年、1624年となっている。この3回の来日は、戦時中に日本に連れて来られた人々を帰国させることが主たる目的になっていて、「刷還使」という役割… -
日韓の二千年の歴史21/善隣関係の復活
徳川幕府が朝鮮王朝との外交関係の再開を申し出ると、朝鮮王朝は最終的に2つの条件を対馬藩に通達した。1つは徳川家康自らが国書を提出して関係修復を願い出ることで、もう1つは、先の戦で王家の陵墓を荒らした犯… -
『ヘチ』でチョン・イルが演じた英祖の人生は波瀾万丈だった!
チョン・イルが主役を演じて2019年2月11日からSBSで放送された時代劇『ヘチ(原題)』の評判がいい。韓国時代劇が好きな人の間でも「とても面白い」という意見が多く寄せられている。 … -
朝鮮王朝の王妃の中で不運にも「廃妃」になったのは誰?
朝鮮王朝の法律に沿って国王が決定したように、王妃もまた厳格な法を適用されて決められていた。それだけに、王妃を廃妃にするのは容易ではないのだが、実際には多くの王妃が廃妃になっている。 … -
朝鮮半島はなぜ南北に分断されたのか(特別編集版)
朝鮮半島が日本の植民地支配から解放された1945年8月15日から大韓民国が成立した1948年8月15日までの3年間に、果たして何が起こったのか。朝鮮半島が南北に分断されていく過程を振り返ってみよう。 …