仁穆(インモク)王后は、娘の貞明公主(チョンミョンコンジュ)の幸せを願いながら1632年に48歳で亡くなった。このときから、貞明公主を支援していたはずの16代王・仁祖(インジョ)の態度が変わってきた。それによって、彼女はかなり辛い立場に追い込まれていった。
呪い殺されるという恐怖
仁祖は、なぜ貞明公主への態度を急に変えたのか。
それは、仁穆王后の葬儀を終えたあとに、急な病に襲われたからだった。
激しい下痢と腹痛、そして、高熱に悩まされた仁祖。主治医が診断しても原因がわからないほど、病は深刻だった。
苦しみ抜いた仁祖は、疑心暗鬼になった。
「誰かが呪詛(じゅそ)をしているのだ。それに違いない」
そう思い始めた仁祖が、自分を呪い殺そうとしている相手として思い浮かべたのが貞明公主だった。
朝鮮王朝時代には、本当に人を呪い殺せると信じられていた。それゆえ、呪詛は重大な罪になった。
首謀者は死罪をまぬがれなかったのだ。
それにしても、仁祖はなぜ貞明公主に疑いの目を向けたのか。
そこには伏線があった。
実は、仁穆王后が世を去ったあと、彼女の部屋から書が出てきたのだが、その中に「王を廃位にして新しい王を擁立したほうがいい」という意味の文があった。
具体的に、どの王を指すのかはわからなかった。そういう意味では、抽象的な文であった。
それなのに仁祖は、仁穆王后が陰謀を計画していたのではないか、という疑いを強く持った。
側近たちは違う意見だった。
「西宮(ソグン)に幽閉されているときに記した文に間違いございません。つまり、王の廃位は光海君(クァンヘグン)を指しているのです」
このように側近たちは上奏した。
しかし、仁祖は容易に疑いを解かなかった。
むしろ彼は、仁穆王后の娘の貞明公主をさらに怪しむようになった。
「もしや黒幕は貞明公主?」
病に苦しむ仁祖は、性格がますます暗くなり、とりわけ貞明公主を執拗に疑うようになった。
それによって、貞明公主の立場は悪くなる一方だった。
しかも、仁祖の寝殿のそばから実際に呪詛物(人骨や小動物の遺骸など)が発見された。こうなっては、貞明公主が処罰されるのは避けられなくなった。そんなときに救世主が現れた。
それが、高官の張維(チャン・ユ)であった。
張維は、仁祖の二男だった鳳林(ポンニム/後の17代王・孝宗〔ヒョジョン〕)の岳父である。つまり、妻(後の仁宣〔インソン〕王后)の父ということだ。
それ以上に張維の存在感がまさっていたのは、仁祖がクーデターを成功させたときの功臣であったからだ。
仁祖が即位するうえで、功績は本当に大きかった。
その張維が仁祖にきっぱりと言った。
「貞明公主に疑いをかけてはなりませぬ」
一度だけではない。張維は何度もそう主張した。
窮地に陥っていた貞明公主は、張維によって救われた。
しかし、仁祖があまりに呪詛を疑っているので、何ごともなかったかのように、すべてを不問にすることはできない。
やむなく、仁穆王后に付いていた女官の何人かが罪を問われて死罪になった。すべては、仁祖の疑い深い性格が招いたことだった。
(第8回に続く)
文=康 熙奉(カン ヒボン)