漂着した場所は、済州島の西南部の大静(テジョン)という場所だった。しかし、ハメルたちにそのことがわかるはずもなかった。生存者が一番気に掛けたのは、自分たちが上陸した土地がどこかということだった。
武装した男たち
日本であれば、身の安全が保証されているも同然だった。言葉はわからなくとも、長崎に連れて行ってもらえれば、そこでオランダ人の保護を受けることができたからだ。
しかし、コリアであれば身の危険を覚悟しなければならなかった。
当時の朝鮮王朝は厳しい鎖国体制にあり、たとえ漂着民であれ国外に出ることは難しい状況だった。
海辺で36人は不安な一夜を過ごした。
翌日になってもまったく人影が見えないので、ハメルはてっきり「無人島なのか」と思っていた。しかし、やがて遠くに人影が見えるようになった。
「日本人であってくれ」
ハメルは心からそう願った。
正午前に3人の男が、ハメルたちが張ったテントのそばまでやってきた。1人は火縄銃で武装し、あとの2人は弓矢を持っていたので、不審な連中の様子を見にきたことは明らかだった。
その3人をさらに間近に見て、ハメルたちは震え上がった。馬の毛で作った帽子をかぶっていたからだ。見た目がいかにも恐ろしい海賊に見えた。
夕方になると100人ほどの武装した男たちが遠巻きにしながらハメルたちを監視し始めた。ハメルたちは震え上がっているだけで、どうすることもできなかった。
8月18日になると、さらに多くの兵士たちがテントを包囲した。やがてハメルを初めとする4人が漂着民の代表として囚われ、それぞれ首に鉄の鎖で結び付けられたまま、役人の前に引っ張り出された。そして、地面に額をこすりつけられながら、尋問が始まったのである。
とはいえ、お互いに言葉が通じない。
ハメルたちは「日本の長崎に向かっている」と手振りで説明したが、まったく理解されなかった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)