船の中に小さな食堂があり、匂いに誘われて入ってみたくなった。4人も入れば一杯の食堂だが、ちょうど先客の3人連れが出るところだった。50代でちょっと太めのアジュンマが、一人で切り盛りしている。前の3人の客はみんなラーメンを食べたらしく、そのドンブリが残っていた。アジュンマが片付け始めたので、私もラーメンを注文してみると……。
見事なアジュンマ
卵と長ネギが入ったラーメンは、絶妙な味わいだった。韓国の食堂で出されるラーメンはインスタント物ばかりだが、それがどうすればこれほど旨くなるのか。私は、目の前のアジュンマを「ラーメン作りの名人」とひそかに名付けた。無愛想ではあったが、無駄口をたたかず、自分のすべきことに専念していた。
私が注文したのはラーメンだけだったが、テーブルにはキムチや焼き魚が出ていた。焼き魚は先客が食い散らかしたものなのに、アジュンマは片づける素振りを一向に見せなかった。それで了解した。焼き魚は客が次々とつつくために残してあるのだ。
おおらかというか、衛生管理を無視した大胆なサービス品だ。さすがに、私は箸を付ける気にはならなかったが……。
このあたりは、ひ弱すぎる。無人島に流されたら一巻の終わり。サバイバルに生きられない男なのだ。そんな自虐的な男の前に、ひと段落したアジュンマはどっしりと腰をすえて、ネギの根っこを取る作業を始めた。黙々と次の仕込みに取り掛かっている彼女の前で、私はまだラーメンを食べている。
たかがラーメンと言うことなかれ。グルメ情報におどらされて並の韓国料理をありがたく頂戴するのはもう疲れた。それより、離島に行く小さなフェリーの中で、麺がなくなっていくことに哀惜の念を持つほどに愛しいラーメンを作る名人がいたことに頭が下がる。
湯気が眼鏡を曇らす。どんぶりの中が見えにくい。そのうち、箸を動かしても引っかかる麺がなくなる。そのときの心細さといったら……。
考えてみれば、このインスタントラーメンのおかげで、どれだけ多くの人が飢えと寒さをしのいできたことか。
大学時代、安アパートに住む私の学友は泥棒に入られて残り少ない現金を盗まれたが、それから1カ月間、1日3食ともにインスタントラーメンで苦境を脱した。
「ラーメンだからこんなに何回も食えるんだよ」
さすがに頬はこけていたが、しっかり生きていた。それもインスタントラーメンのおかげだった。
文・写真=康 熙奉(カン・ヒボン)