地のままで演じられる気分
キャラクターの2つ目。
キム・シンは死神(イ・ドンウク)と同居することになり、気に入らない相手と常にもめている。
死神は死んでいく人を天国と地獄に振り分ける役目を負っているのだが……。
お互いに反目しあうキム・シンと死神。もめるときにキム・シンは自分の感情をありのままに出しきっている。
つまり、彼はウンタクを前にしたときとは別人のように死神の前で喜怒哀楽を存分に見せるのだ。
このときのコン・ユはとても楽しそうに演技している。まさに、地のままで演じられる気分なのだろう。
それは、見ている人にもよく伝わってきて、思わず心がほころんでくる。そういう瞬間が何度もあるから、ドラマを見ていても大いに癒やされるのだ。
キャラクターの3つ目。
王に裏切られて理不尽な宿命を背負ったまま900年間生きているキム・シン。その姿は苦悩そのものだ。そんなキム・シンに扮するのは、俳優として培ってきた演技の見せどころだ。
コン・ユとしても今までの俳優としての経験を十分に生かしている。
以上の3つのキャラクターをコン・ユは巧みに演じ分けている。
それは、地球の引力に耐えることができなくなった枯葉が表と裏を見せてゆっくり落ちていく様子を連想させる。
このあたりがドラマに深遠な世界を持ち込んでいるのだ。
表だけでなく、裏だけでなく、ゆっくりと表と裏を交互に見せていく。
そのことによってドラマは限りない多様性を表現することができている。それを主導しているのが、間違いなくコン・ユの研ぎ澄まされた演技だ。
また、『トッケビ』そのものも、秋の鮮やかな紅葉が背景になっている。
まさに哀愁の世界だ。
ドラマの前半でウンタクと対面するときのキム・シンも、まさに哀愁を漂わせた存在であった。
彼は雨を降らすことも天気を回復させることもできる万能の男。しかし、1人の女性を前にすると、感情だけはどうしてもコントロールできなくなる。
その落差を演じるコン・ユが秀逸だ。
彼は、『トッケビ』のテーマである「生」と「死」が交差する瞬間を哀愁たっぷりに演じきっている。
文=康 熙奉(カン ヒボン)