日韓の二千年の歴史15/元寇

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弘安の役

元・高麗連合軍は日本の軍勢を圧倒した。その際には、火薬砲弾や毒矢という最新兵器が威力を発揮した。博多の町は焼かれ、日本は絶望的な状況になった。
しかし、思わぬ吉報が日本の陣にもたらされた。連合軍が陸上で野営せずに船のほうに引き上げたのである。
連合軍にすれば、夜間の奇襲を極端に恐れた結果の行動だった。しかし、彼らは日本の奇襲を警戒するより、海上の気象を心配すべきだったのだ。
激しい暴風雨が連合軍の船を襲ったのは、10月20日の夜だった。台風には勝てない。海上の連合軍は壊滅状態となった。
台風のおかげで侵攻を防いだとはいえ、日本が感じた恐怖は底なしだった。




鎌倉幕府は守りを固めるために、九州の御家人に命じて防塁を造らせた。規模は、博多湾の沿岸20キロメートルに及んだ。
防塁の高さは約2・5m。すべて突貫工事で造られた。元がすぐに襲ってくるかもわからないので、可能なかぎり防塁構築を急いだ。
最初の侵攻から6年。元の軍勢が再び博多湾に押し寄せてきた。
前回は元と高麗の連合軍だったが、今回はさらに、揚子江の南に勢力を持っていた南宋の軍も加わった。
兵力は10数万人。この圧倒的多数の兵士たちが二手(ふたて)に分かれ、1281年(弘安4年)6月に九州北部を襲ってきた。これが弘安の役である。
(ページ3に続く)

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