トンイ(淑嬪・崔氏〔スクピン・チェシ〕)の素性は怪しかった/朝鮮王朝秘話2

このエントリーをはてなブックマークに追加

 

1689年、19代王の粛宗(スクチョン)は仁顕(イニョン)王后を廃妃にして側室の張禧嬪(チャン・ヒビン)を王妃に昇格させた。しかし、張禧嬪は安泰とはならなかった。淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)という強力なライバルが現れたからだ。彼女はドラマ『トンイ』の主人公になった女性である。




3つの説

「朝鮮王朝実録」を読んだだけでは、淑嬪・崔氏がどういう人かまったくわからない。彼女に関する記述が少なすぎるからだ。しかし、野史(民間に伝承されている歴史書)によると、淑嬪・崔氏の出現には3つの説がある。
1つは、7歳のときにムスリ(下働きをする女性)として王宮に入ってきたという説。王宮の中では、水をくむとか掃除をするとか、そういう下働きをする女性が多くいた。女官というのは一応はエリートの女性であって、下働きはしない。一方、水をくむというのは大変な重労働で、こういう仕事は身分が低い人たちにやらせていた。そのムスリの1人が淑嬪・崔氏だったのである。
第2の説は、仁顕王后が1681年に粛宗の二番目の正室として宮中入りしたとき、淑嬪・崔氏も下女として一緒についてきたというものだ。




第3の説は、ちょっと耳を疑うような話である。水くみのムスリに違いはないのだが、すでに結婚していて子供が2人いたというものだ。
そもそも、女官というのは未婚でなければなれない。ドラマ『宮廷女官 チャングムの誓い』でもわかるように、5歳くらいに見習いとして宮中に入ってきた女の子が、10数年の修業を経て一人前の女官になっていく。
その一方で、ムスリは結婚していても問題はなかった。しかし、後に粛宗の寵愛を受ける淑嬪・崔氏にすでに子供が2人いた、というのは信じがたい話である。あくまでも噂に過ぎないが……。(ページ2に続く)

張禧嬪(チャン・ヒビン)!側室に転落した王妃

https://goo.gl/KUhLTS

トンイは張禧嬪(チャン・ヒビン)より悪女なのか?

https://goo.gl/jeVCTP

張禧嬪(チャン・ヒビン)はなぜ王妃になれたのか/朝鮮王朝秘話1

「張禧嬪(チャン・ヒビン)よりトンイが悪女!」と言える3つの根拠

朝鮮王朝おもしろ人物列伝(淑嬪・崔氏編)

固定ページ:

1

2 3

必読!「ヒボン式かんたんハングル」

「韓流ライフ」というジャンルの中に、「ヒボン式かんたんハングル」というコーナーがあります。ここには、日本語と韓国語の似ている部分を覚えながら韓国語をわかりやすくマスターしていく記事がたくさん掲載されています。日本語と韓国語には共通点が多いので、それを生かして韓国語の習得をめざすほうが有利なのです。ぜひお読みください。

ページ上部へ戻る