儒学者たちの交流
朝鮮通信使に帯動した画家も、日本の絵画に大きな影響を与えた。
その一方で、日本の町絵師たちも競って、朝鮮通信使の行列風景を題材にしており、朝鮮通信使来朝図は庶民の間で飛ぶように売れたという。
現在でも50種類以上の行列図が残っており、往時の人気をしのばせている。「言葉」とは違って「絵」は共通の表現手段だけに、さぞかし両国の画家たちは忌憚なく交流を深めることができただろう。
こうした日本の熱狂的な歓迎風景の中でも、特に強い影響を受けたのは、日本の儒学者たちであった。彼らは、儒教が浸透している朝鮮王朝の学者に教えを請うという気持ちで面会を求めた。
また、漢文についても、朝鮮王朝の専門家に添削をしてもらうというのが一種の流行になっていた。
文書の起草を担当する製述官のもとには、数多くの知識人が集まってきた。それゆえ、朝鮮王朝は製述官には特に文才に長じた人物を厳選した(第3回に続く)。
文=康 熙奉(カン ヒボン)