日本の情勢に疎かった朝鮮王朝
明治政府は版籍奉還、廃藩置県、徴兵令公布を次々に断行。征韓論は1873年10月に閣議で認められずに西郷隆盛が下野したが、征韓論そのものが否定されたわけではなかった。
西郷隆盛の下野はあくまでも政権内の権力闘争の結果だった。
むしろ、権力闘争に勝利した大久保利通や木戸孝允の意向は、時期を見据えたうえでの征韓に傾いていく。
その頃、朝鮮王朝は明治政府の動向に疎かった。これが後に日本の干渉を受ける結果に結びついた。
日本にとって明治維新は富国強兵の転換点になったが、海を隔てた朝鮮半島では弱肉強食の渦に巻き込まれる端緒となった。
以後、朝鮮王朝は衰退の一途をたどり、1910年の日韓併合によって滅んだ。
文=康 熙奉(カン ヒボン)