新政府の意向
幕末に尊皇攘夷運動を進めた吉田松陰は獄中で著した「獄是帳」の中で、次のようなことを書いている。
「ロシアやアメリカと講和したあとは国力を養い、取りやすい朝鮮、満州、支那を従え、交易でロシアとアメリカから失った分は、朝鮮や満州の土地を取ってまかなえばいい」
たとえ欧米列強によって不平等条約を結ばされても、その損害をアジア各地の領土を取って補えばいい、という主旨だ。
吉田松陰の高弟として知られた木戸孝允は明治政府の元勲となったが、1868年12月に岩倉具視に対して「使節を朝鮮に派遣して無礼を問い、相手が服従しなかったなら罪を責めて攻撃すればいい」と述べている。
まさに征韓論である。
ただし、木戸孝允が指摘するような無礼が朝鮮王朝にあったのかどうか。
あくまでも朝鮮王朝は徳川幕府と続けていた善隣関係を基本に明治政府の対応を見極めようとした。しかし、明治政府が従来の関係を踏襲しなかったので国書の受け取りを拒否したのだが……。(ページ3に続く)