1867年10月、徳川幕府は朝廷に大政を奉還。これによって、264年間続いた徳川幕府が終焉した。しかし、翌年の1月3日に薩摩・長州軍と旧幕府軍が鳥羽・伏見で武力衝突して戊辰戦争が始まった。新しく誕生した明治政府は戊辰戦争に勝ち、国内を平定した1868年10月になって対馬藩に対し「新しい政権が生まれたことを朝鮮王朝に伝えよ」と命じた。
国書の文字が問題となった
1868年12月、対馬藩の使節が明治天皇の国書を朝鮮王朝に渡した。しかし、朝鮮王朝はこの国書の受け取りを拒否した。
なぜ、国書を受け取らなかったのか。
国書の文中に容認できない文字があったからだ。
その文字は「皇」や「勅」だ。
この場合、「皇」は皇帝、「勅」は皇帝の命令を意味する。その文字を日本が使えば朝鮮国王を隷属させることにつながると朝鮮王朝側は捉えた。
従来、朝鮮王朝は「皇」を名乗れるのは中国の皇帝だけという立場を堅持していた。それゆえ、朝鮮国王は皇帝より格が1つ下がる「王」を自称していた。
江戸時代には日本でも幕府将軍が「国王」を名乗り、日本と朝鮮半島は「王」という立場で同格だった。
しかし、日本が「皇」を名乗ると、格の上で朝鮮王朝が下になってしまう。それはとうてい容認できないことだった。
しかも、長く善隣関係を結んできた徳川幕府をつぶした新政府を認めたくないという心情も朝鮮王朝側にはあったことだろう。(ページ2に続く)