貞純王后の毒殺説
朝鮮王朝時代は儒教社会だったため、祖母を処罰することは「孝」にそむく行為となる。そのため、いくら正祖が処罰したいと思っていても、それは簡単ではなかった。なぜなら、まだ王になったばかりで、人望を失うわけにはいかなかったからだ。
一方、貞純王后も断食をして処罰を逃れようとしていた。正祖は、父である思悼世子の無念を晴らすために貞純王后を処罰すべきかどうかをかなり悩んだが、結局は処罰しないで、敵対勢力を牽制することで貞純王后を孤立させた。
1800年に世を去った正祖だが、彼の死因に関しては貞純王后に毒殺された可能性があると言われている。
在位中に多くの功績を残し、名君とまで呼ばれた正祖だが、貞純王后を厳しく処罰しなかったことが彼の唯一の失敗と言えるだろう。
文=康 大地(コウ ダイチ)
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