現在の高麗神社がある地域は、かつては朝鮮半島からの渡来人が多く住む高麗郡だった。もともと、8世紀前半に渡来人が関東一円に多かったのだが、最も大規模な移動が朝廷の政策によって実行された。それは716年のことだった。
1799人の高句麗人
716年、朝廷は、駿河(静岡)、甲斐(山梨)、相模(神奈川)、上総(千葉)、下総(千葉)、常陸(茨城)、下野(栃木)の各地域に住んでいた高句麗人1799人を武蔵国に移住させて高麗郡を設置した。
ここでいう高麗郡が、現在でいえば埼玉県の日高市や飯能市の一部に該当する。
それにしても、716年になって、なぜ武蔵への大規模な高句麗人の移住が必要だったのだろうか。
当時の朝廷は各地に郡を新設することに熱心だった。
それ以上に大きかったのは、東国に分散して住んでいた高麗人の1カ所集中を嘆願する動きが起こっていたことだ。おそらく、高句麗系の中で出世した貴族たちが朝廷内部に働きかけたものと思われる。(ページ2に続く)