〔総集編〕韓国はなぜ日本の植民地になったのか

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日朝修好条規

当時の朝鮮王朝は26代王の高宗(コジョン)が統治していました。しかし、この王には自ら政治を仕切る才覚が欠けていて、実質的には父の興宣(フンソン)大院君と妻の閔氏(ミンシ/後の明成〔ミョンソン〕皇后)の間で激しい主導権争いが起こっていました。興宣大院君は攘夷派で閔氏は開国派でした。そして、江華島事件が起こったときは閔氏が実質的に政治の主導権を握っていました。
日本の武力は、朝鮮王朝にとって脅威でした。ゆえに、朝鮮王朝は強く開国を迫る日本の圧力に抗うことができず、1876年2月に両国の間で日朝修好条規(江華条約)が締結されました。この条約によって朝鮮王朝は「主要な港の開港」「自由貿易の推進」「日本領事による治外法権」などの重要事項を呑まされました。
日本の武力を恐れた朝鮮王朝は、自国に不平等と知りながら条約を結ばざるをえなかったのです。




日朝修好条規を結んだ1876年の時点で、すでに日本と朝鮮半島は国力に差が出ていました。日本は富国強兵政策を進めて、武力を着実に強化していました。
一方の朝鮮王朝は、政治の腐敗や前近代的な制度の固執などで、日本に比べて武力が劣っていました。ときはまさに弱肉強食の時代。日本の朝鮮半島への介入は加速度的に進みました。
朝鮮王朝にも、「明治維新に成功した日本に学ばなければならない」という考えを持った開化派が台頭した時期がありました。彼らは1884年12月に日本の後押しを受けてクーデターを起こし、一時的に王宮を占拠しましたが、朝鮮半島に大きな影響力を持つ清が武力で開化派を排除。王宮占拠も「三日天下」で終わってしまいました。
以後、日本と清は朝鮮半島の権益をめぐって激しく対立しました。(ページ3に続く)

韓国は日本の植民地時代をどう生きたのか(前編)

韓国は日本の植民地時代をどう生きたのか(後編)

韓国では「朝鮮王朝時代」の評価がどう変化したのか

韓国の哀しみは韓国にいないとわからない

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