武力による威嚇
朝鮮王朝は明治天皇の国書を拒否しました。
もともと、善隣関係を維持した徳川幕府を倒した明治政府に対して、朝鮮王朝は良い感情を持っていませんでした。そこに国書問題も起こり、朝鮮王朝と明治政府は断交状態に陥りました。
一方、新しく統治を始めた明治政府にとっての悩みの種は、幕末に欧米列強と結んだ不平等条約の数々でした。それは、武力の威嚇に怯えた徳川幕府が不本意ながら強制された条約ばかりでした。
幕末に松下村塾を開いた吉田松陰は自著『幽囚録』の中で、「軍備を整えて、朝鮮を攻めて従わせて、北は満州から南は台湾・ルソン〔フィリビン〕の諸島まで収めるべきだ」という主旨のことを書いています。
要するに、「欧米列強に強いられた不平等条約で日本は大きな損害をこうむったが、その分は、朝鮮半島・満州・台湾・フィリピンを手中に収めて取り返そう」というわけです。吉田松陰は倒幕の原動力になった長州藩に大きな影響を及ぼした人ですが、その彼が大陸に攻め入るという思想を持っていたのです。
明治維新後に富国強兵路線を歩んだ日本は、吉田松陰の言葉どおり、ついに朝鮮半島での権益を狙い始めます。つまり、欧米列強が日本に対して行なった「武力による威嚇」という手法を、今度は日本がアジア諸国に対して行なおうとしたのです。
(中編に続く)
文=康 熙奉(カン ヒボン)