朝鮮通信使の驚き
寛永20年(1643年)6月、朝鮮通信使の来日に先立って鐘は海路で江戸に運ばれたあと、さらに日光に送られた。先に覆屋は完成しており、到着した鐘は丁重に懸けられた。それが、今も現存している鐘である。
高さは110センチで外径は90センチ。鐘の龍頭の下には、朝鮮で鋳造された鐘の特徴である孔があり、そこから別称で「虫喰鐘」と呼ばれるようにもなった。
その鐘が、今では拝観料さえ払えば誰もが気軽に見ることができる。このように、歴史は秘蔵されるものではなく、今も生々しく実感するものなのである。
それにしても、現代の日光は多くの外国人観光客を集めているが、原点に戻れば、最初にこの地を訪れた外国人は朝鮮通信使の一行であった。彼らは東照宮の壮麗さを日記に克明に記している。
時代が変わっても、東照宮が多くの人を魅了するという点は変わらない。朝鮮通信使の驚きは、現代の外国人観光客の驚きでもある。
文=康 熙奉(カン ヒボン)