韓国はなぜ日本の植民地になったのか/一問一答編1

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1910年に日韓併合が行なわれ、朝鮮半島は1945年まで日本の植民地になりました。その不幸な歴史は、現在の日韓関係にも影響を及ぼしています。なぜ、韓国は日本の植民地になったのでしょうか。一問一答形式で康熙奉(カン・ヒボン)が語ります。今回は第1回目です。




徳川幕府の終焉

――「韓国はなぜ日本の植民地になったのか」ということを考えるうえで、どこから歴史をたどっていけばいいですか。
康熙奉「明治維新の頃までさかのぼって考えたほうがいいですね。江戸時代に徳川幕府は朝鮮王朝と友好関係を維持し、正式な外交使節となる朝鮮通信使が合計で12回来日しています。しかし、19世紀の半ば、雄藩の跋扈(ばっこ)と欧米列強の外圧で徳川幕府の衰退が著しくなりました。一方の朝鮮王朝も、凶作が続いていたにもかかわらず国王の外戚が政治を牛耳り、国内が混乱するばかりでした。これでは日本に目を向ける余裕すらありません。こうして、長く続いた善隣関係も途絶えてしまったのです」




――徳川幕府は1867年10月に15代将軍の徳川慶喜が大政を朝廷に奉還しましたね。
康熙奉「264年も続いた徳川幕府が幕を閉じました。翌年早々に戊辰戦争が起こり、日本国内が内乱状態になりましたが、その年の秋には旧幕府軍がほぼ一掃されたのです。新しく誕生した明治政府は、1868年10月に、政権が変わったことを朝鮮王朝に伝えよ、と対馬藩に命じました。そこで、対馬藩の使節が朝鮮半島にわたって明治天皇の国書を渡しました。その文面が、朝鮮王朝側で大問題になります。それは、皇帝を意味する『皇』と、皇帝の命令を意味する『勅』が使われていたからです」(ページ2に続く)

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