態度を変えた光海君
光海君は1575年の生まれである。母は宣祖の側室であった。
年齢を見れば、光海君は貞明公主よりは28歳上で、永昌大君より31歳も上だった。これほどにも光海君は、貞明公主や永昌大君と年が離れていた。
そんなこともあって、貞明公主と永昌大君は光海君をとても慕っていた。兄というより、本当の父親のように思っていたのだ。
しかし、王位に上がったあと、光海君が妹と弟に向ける視線はガラリと変わってしまった。妹の貞明公主のほうは変わらずに可愛がったのだが、永昌大君のほうは妹ほどには優しく接しなかった。宣祖の正統的な嫡男である永昌大君が王位を脅かすかもしれない、という警戒心が働いたからだ。
光海君の側近たちは、光海君の兄の臨海君(イメグン)を1609年に流罪にしたうえで殺害してしまった。
さらには、1613年に母親の仁穆王后から無理に永昌大君を引き離し、泣き叫ぶ子供を強引に島流しにしてしまった。
3歳下の弟を溺愛していた貞明公主。彼女はまだ10歳だったが、弟と引き離されて涙がかれるほど悲しんだ。
流罪となった永昌大君は母と姉から引き離されて、どれほど寂しく心細い日々を過ごしたことか。
そんな子供に、さらなる魔の手がのびる。(ページ3続く)
貞明(チョンミョン)公主/朝鮮王朝美女物語6
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