クーデターが勃発
光海君の一派は1609年に臨海君を殺害。さらには、宣祖と継妃・仁穆王后の間に1606年に生まれていた異母弟の永昌大君(ヨンチャンデグン)も配流した後に1614年に殺している。このとき、永昌大君はわずか8歳だった。
このように、光海君の即位当初は血なまぐさい骨肉の争いが多かった。それでも政治的に光海君は宣祖の後を継いで、荒廃した国土の復興や、減税などに手腕を発揮した。
しかし、次第に王朝内部の腐敗が甚だしくなった。王の威光を利用して側近が国政を乱し、官僚の賄賂も横行した。
こうなると、兄弟を殺害したという光海君一派の罪が蒸し返された。
1623年、光海君は仁祖(インジョ)が起こした政変によって王の座を追われた。(ページ3に続く)
貞明(チョンミョン)公主の生涯1!『華政』(ファジョン)の主人公