国政を混乱させた張本人
王族とはいえ、元範の親族はことごとく死罪や流罪になっていて、ほとんど身寄りがなかった。田舎育ちなので学問も積んでいない。能力も見劣りするのに、純元王后はなんと元範を次代の王に推挙した。安東・金氏の操り人形になるのにうってつけの王と見込んだからだ。
かくして、文字もまともに読めないような無学の男が王になった。それが25代王・哲宗(チョルチョン)である。
予想もしなかった王になって、勘違いした哲宗は酒と色に溺れた。純元王后の狙いどおりの結果になったのだ。
安東・金氏の天下は続き、その絶頂の中で純元王后は1857年に68歳で世を去った。純祖に嫁いで55年だった。
まさに、一族で国政を壟断(ろうだん)した人生だった。
文=康 熙奉(カン ヒボン)