呪詛で狙われたのは?
1639年7月、仁祖が病気にかかってしまう。食欲の急激な低下や不眠が症状として出て、フラフラになるほど衰弱するという深刻な状態だった。医師たちが王を必死に治療したが、病状はいっこうに回復する気配がない。最終的に診察した名医から陰邪(ウムサ)という病名が明かされた。陰邪とは、邪悪な気の影響で衰弱する病気で、その原因の多くは呪詛によるものだと思われていた。
仁祖が呪詛を受けていることに王宮内は大騒ぎとなり、このとき妊娠7カ月で神経をとがらせていたのが趙氏だった。彼女は、「呪詛は自分を狙ったものではないか」と思い、2人の人物を疑った。
1人は二番目の正室となった荘烈王后。彼女は、自分が王の寵愛を受けられないことを恨んで呪詛を行なった可能性がある。2人目は仁祖の長男・昭顕の妻である姜(カン)氏だ。彼女は出産を控えた趙氏に危機感を持って、配下の者たちに命じて呪詛に及んだ可能性があった。
しかし、王の後継者問題以外に気が回らなかった趙氏は、自分のよく知る巫女を呼んで徹底的に調査させた結果、王宮の昌慶宮から小動物の死骸や人骨などの呪詛物が出てきた。当然ながら呪詛を行なった犯人を捜す捜査が行なわれ、数人の女官が拷問に耐えられず呪詛を行なったことを白状した。仁祖が姜氏に対して感じていた印象は最悪だった。なぜなら、趙氏が仁祖に「犯人は姜氏に間違いありません」と何度も吹き込んでいたからである。
1639年10月17日、息子の崇善君(スンソングン)を出産した趙氏は、王子の母になるという目標を達成した。それから彼女は姜氏を一番警戒するようになる。
後継者に指名されていた昭顕が王となった場合、妻の姜氏は自動的に王妃となる。それによって、趙氏の権威が失われてしまうのが目に見えていた。
姜氏の存在をめざわりに思っていた趙氏は、清で人質として暮らす昭顕と姜氏の消息に神経をとがらせた。
2人は軟禁生活を強いられたが、朝鮮王朝の王族夫婦として迎えられて、中国大陸の生活様式や文物に触れるなどして、清での暮らしを満喫していた。昭顕と姜氏は、清で見聞した先進の文明に刺激を受けて、新しい価値観を身につけていった。さらに2人は、西洋の宣教師と交流を重ねて、世界観も広げることができた。
趙氏は、昭顕と姜氏の行状を歪めて仁祖に報告した。清を憎んでいた仁祖は、長男夫婦を裏切り者と見なした。それにより、王と長男夫婦が対立してしまったのである。(ページ4に続く)
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