康熙奉の朝鮮王朝秘話!英祖と思悼世子の確執1

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最大派閥に恨まれた世子

英祖の正妻は貞聖(チョンソン)王后だったが、2人の間に子供はいなかった。英祖の最初の息子は、側室の靖嬪(チョンビン)・李(イ)氏が産んだ孝章(ヒョジャン/1719年生まれ)だった。

しかし、この長男はわずか9歳で病死してしまった。

その後は側室との間にも息子が生まれず、王の後継者がまったくいないという状況が長く続いた。

英祖もどれほど気にかけていたことだろうか。それだけに、1735年に側室の映嬪(ヨンビン)・李(イ)氏が二男の荘献(チャンホン)を産んだときは、英祖もことのほか喜んだ。すでに41歳になっていたからなおさらだった(荘献は後の思悼世子である。以後は思悼世子と表記する)。




期待にたがわず、思悼世子は幼い頃から聡明だった。1歳で世子(セジャ/王の正式な後継者)に指名された彼は学問に励み、詩作や書道で才能を発揮した。9歳のときに、領議政(ヨンイジョン/総理大臣)まで務めた洪鳳漢(ホン・ボンハン)の娘と結婚した。それが後の恵慶宮(ヘギョングン)である。

世子として甘やかされて育った思悼世子は、自分の才能に溺れすぎるところがあったのかもしれない。10歳のときに老論派(ノロンパ/当時の最大派閥)の政治手法を批判してしまった。この一件によって思悼世子は老論派から恨みを買ってしまった。(ページ3に続く)

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