光海君の死を望む仁穆王后
仁穆王后は、光海君に強い怨みを抱いていた。自分の息子である永昌大君を殺害されたあげく、慶運宮に幽閉されたのだから当然である。
彼女は、綾陽君に「この日が来ることを幽閉されてからずっと待っていました。光海君は私の手で処刑したい」と言った。
しかし、仁穆王后のその命令を実行するのは難しかった。なぜなら、今までに臣下の者たちが、追放された王を処刑したことがないからだ。それでも、仁穆王后は「私は必ず怨みを晴らさなければならないのです」と言った。
それに対して臣下の1人が、「11代王の中宗(チュンジョン)様が、10代王の燕山君(ヨンサングン)を廃位にしたときの事例を参考にしてみてはいかがでしょう」と述べたが、仁穆王后にとっては、燕山君の罪よりも光海君の罪のほうが重かった。その後も問答は続くが、彼女は光海君を斬首にすべきという主張を変えなかった。
一方の綾陽君は、いくら廃位にしたとはいえ、先王を斬首にすれば、大きな批判が起こることを知っていて、仁穆王后の主張を容認することはできなかった。
こうした仁穆王后の主張は、1623年に綾陽君が16代王・仁祖(インジョ)として即位した後も続いた。仁祖は彼女の言い分を聞かずに、光海君を江華島(カンファド)に流罪にした。
1632年、仁穆王后は世を去った。一方、多くの人から怨みを買った光海君は、最終的に済州島(チェジュド)に流され、廃位から18年後の1641年に世を去っている。
仁穆王后にとって、光海君の死を見届けることができなかったことが、一番の心残りだったことは間違いない。
文=康 大地【コウ ダイチ】
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