康熙奉(カン・ヒボン)の「日韓が忘れてはいけない人12」

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大磯町には「高麗」という地名がある

「高麗」は何を指すのか

本州の太平洋側の沿岸を船で東に進んだ若光の一団。伊豆半島をグルリと回り、相模湾に入ってから、上陸の適地を見つけた。

それが、相模国の大磯だった。

若光は大磯に住み、ここを拠点にして配下の者たちが相模国の各地に散っていった。

そういう歴史があるだけに、大磯には高句麗にゆかりがある地名が多い。




それを説明する前に、日本の古代において高句麗のことが高麗(こま)と呼ばれていたことを強調しておきたい。

朝鮮半島の歴史上では高麗という王朝が918年から1392年まで続いたが、それとは関係がなく、日本の古代で高麗と言えば、すべて高句麗のことなのである。

さらに言えば、日本で馬のことを駒と呼ぶが、これも高麗が由来だ。つまり、「駒(こま)」は「高麗(こま)」から転じたものなのだ。高句麗は騎馬国家でもあり、「高麗」が馬に通じるのも道理である。それゆえに、日本で「駒」が付く地名は、古くから高句麗と関係がある場合も多いのだ。

そのことを理解したうえで、次の話に移っていこう。

(後編に続く)

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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