第22回 医官として有名な偉人・許浚
許浚(ホ・ジュン)は、韓国時代劇『ホジュン 宮廷医官への道』の主人公となった人物だ。有名な医学書を書いた名医としても知られている。彼が生きた時代の歴史を辿っていこう。
最初は冷遇されていた
1546年、名門の家に生まれた許浚だが、庶子だという理由から冷たい扱いを受けて、重要な官職に就くことができなかった。それでも、許浚は「自分の力を生かせる仕事がしたい」と考えて、山中で生活していた名医のもとで医学を学ぶ。
29歳で医官の試験に合格して宮中での仕事を許された彼は、とても優れた医療技術を持っており、わずか1年という異例の速さで当時の王である宣祖(ソンジョ)の主治医となった。
許浚は宣祖から絶大な信頼を得るが、それで満足はせずに、新しい専門知識を得るためにずっと研究を続けた。
宣祖の時代には豊臣軍による朝鮮出兵(1592年~1598年)があり、多くの死者や怪我人が出た。許浚は各地を回りながら、その惨状を見て、医学書の必要性を実感した。そして、宣祖からも「中国から医学書は入ってくるが、我が民族の医学書がない」ということで、医学書を作ることを命じられたのである。(ページ2に続く)