朝鮮王朝おもしろ人物列伝(許浚編)

このエントリーをはてなブックマークに追加

「東医宝鑑」の作成開始

許浚はすぐに医学書「東医宝鑑(トンイポグァン)」の作成に取り掛かる。王の主治医の仕事を続けながら、研究と執筆をしていた彼は、高い官位を得て大出世した。しかし、1608年に宣祖が世を去ってしまう。

朝鮮王朝では、王が亡くなると、その責任を王の主治医が取らされる。もちろん、偉大な医官である許浚も例外ではない。彼は死罪となることは免れたが、流罪となってしまった。




許浚は失意の日々を過ごしていた。そんな彼に救いの手を差し伸べた人物がいた。宣祖の後を継いだ15代王・光海君(クァンヘグン)である。許浚の偉大さを若いときからずっと近くで見ていた彼は、自分の主治医として宮廷に呼び戻した。(ページ3に続く)

ページ:
1

2

3

関連記事

  1. 朝鮮王朝おもしろ人物列伝(張緑水編)

  2. 朝鮮王朝おもしろ人物列伝(3代王・太宗編)

  3. 朝鮮王朝おもしろ人物列伝(恵慶宮〔ヘギョングン〕編)

  4. 朝鮮王朝おもしろ人物列伝(22代王・正祖編)

  5. 朝鮮王朝おもしろ人物列伝(廃妃・尹氏編)

  6. 朝鮮王朝おもしろ人物列伝(貴人〔キイン〕趙〔チョ〕氏・前編)

  7. 朝鮮王朝おもしろ人物列伝(文定王后編)

  8. 朝鮮王朝おもしろ人物列伝(仁顕王后編)

  9. 朝鮮王朝おもしろ人物列伝(16代王・仁祖編)

PAGE TOP