第7回/珍島の雲林山房
韓国南西部に浮かぶ珍島(チンド)。1984年に完成した珍島大橋で陸地とつながった。ここは、「神秘の海割れ」が起こる島として日本でも知られるようになった。この島の名所となっているのが雲林山房(ウンリムサンバン)である。
朝鮮王朝末期の優れた教養人
雲林山房は、4代続いた山水画の名家の記念館である。
管理事務所の窓口で入場券を買う。念のため、バスの乗り場を窓口の女性に教えてもらおうとしたら、奥から「駐車場の向こうに行けば停留所がありますよ」という日本語が聞こえてきた。私は韓国語で話しかけていたのに、日本から来た者だとすぐにわかったらしい。声の主は70代のハラボジ(おじいさん)だった。
声が太く、ドスがきいていて、まるで片岡千恵蔵に話しかけられているような気分になった。
「バスは午後4時半に出ます。まだ1時間以上あるから、ゆっくり見学してください」
そう教えてくれたハラボジは、胸にボランティア活動を示すワッペンを付けていた。少しでも地域の役に立ちたい、というのが信条なのだろう。頭が下がる思いで、ハラボジに礼を言った。
雲林山房に入ると、広い庭園があり、その奥に展示館があった。ここを築いたのは、珍島出身で朝鮮王朝末期の優れた教養人だった許錬(ホリョン)(1808~1893年)である。詩、書、画において天賦の才能を発揮し、40歳のときには朝鮮王朝24代王の憲宗(ホンジョン)に謁見し、王が使う墨と筆で画を描くという栄誉を受けた。都での名声は高かったが、師の金正喜(キム・ジョンヒ)が流刑先の済州島(チェジュド)で亡くなると、その死を悼んで1857年に故郷に戻り、画室を建てて余生を送った。それが、今の雲林山房になった。(ページ2に続く)