進学断念という挫折
ソウル大学の学生が警察で拷問死する事件をきっかけに、全土で民主化を要求する運動が起き、韓国の世情は騒然となった。翌年にソウル・オリンピックを控えていたが、その開催が危ぶまれる事態になるほど、国内は揺れに揺れた。
ときの全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領はデモの鎮圧に軍隊を導入する決断をしかけた。そうなっていれば、韓国の悲劇に終わりはなかった。けれど、国際社会が注視する中で、全斗煥大統領は最後になって方針を転換し、民主化を受け入れた。これによって、大統領の直接選挙制、集会・言論の自由などが実現した。
まさに、民主化運動が軍事政権を倒したという意味で、現代史でも稀なほどの市民革命が成就したのであった。
このとき、ペ・ヨンジュンは15歳になる頃である。一番多感な時期に、最も劇的な社会変革を目の当たりにしたのだ。彼ほど利発な少年が影響されないわけがない。韓国にとっても、また、ペ・ヨンジュンにとっても、希望が持てる新しい時代が始まった。
1988年にはソウル・オリンピックが成功し、国外渡航も自由化されて多くの若者たちが海外に飛び出していった。こうした変化は本当に大きかった。後に1990年代の後半から韓国の映画やドラマの制作環境が飛躍的に向上するが、その際に大きな力となったのが、国外渡航自由化のあとに欧米で映像制作を学んだ人たちだった。
ペ・ヨンジュンの世代もその後に続いた。積極的に外国の情報を収集して、自らの知性を輝かせていった。
しかし、ペ・ヨンジュンは大学受験に2年続けて失敗した。世界一の大学進学率を持つ韓国で、進学断念という事実はあまりにつらい。ペ・ヨンジュンの挫折感は誰も想像できないほどであったことだろう。(ページ4に続く)