光海君の晩年
朝鮮王朝では常に権力闘争が激しく、権謀の末の政権交代がよく起こった。1623年、光海君はクーデターによって王の座を追われた。都を追放され、最後は済州島に流された。
行き先は告げられていなかった。船の周りに幕を張って、方向がわからないようにしてあったのだ。
済州島に着いたとき、光海君は初めて自分が孤島に流されたことを知る。
「なぜ、こんなところへ……」
光海君は絶望した。この島で骨を埋める覚悟もなかなかできなかった。
「ご在位のとき、奸臣を遠ざけ、良からぬ者が政治にかかわらぬようにしていれば、ここまで遠くにお出でにならなかったのに……」
島の役人にそう言われたものの、すべては後の祭であった。
光海君は元の国王ということで、生活に不自由はなかった。しかし、威光という点では昔と比べるまでもなく、「王の座を追われたのは、ご自身が招いた結果」と周囲の者から陰口を言われる有様だった。
光海君が没したのは1641年。享年66歳。15年も王位にあった者としては、実にあわれな晩年だった。
私(康熙奉〔カン・ヒボン〕)は、『大長今』のおかげで新たに整備されたウェドルゲの遊歩道を歩きながら、しみじみと済州島の今昔を思った。
かつて、都の人が身震いするほど恐れた済州島は、今は韓国最高の観光地となった。よく言われている「東洋のハワイ」という讃え方は大げさだが、それでもここには行楽に必要な景観・美食・観光施設のすべてが良好に揃っている。昔の流刑地は経済効果が高い観光のメッカへと変貌したのである。
〈第3回に続く)
文=康 熙奉(カン ヒボン)
出典=「韓国のそこに行きたい」(著者/康熙奉 発行/TOKIMEKIパブリッシング)