1607年、江戸時代に初めて来日した朝鮮通信使には、徳川家康に朝鮮国王の国書を渡すという重要な任務があった。彼ら一行が江戸をめざして東海道を進んで浜松に至ったとき、2年前に将軍職を息子の秀忠に譲った家康が駿府(静岡)にいるという情報が伝わってきた。
家康から受けた歓待
朝鮮通信使の正使だった呂祐吉(リョ・ウギル)は、なんとしても家康に朝鮮王朝の国書を直接渡したかったのだが、幕府側から、江戸城にいる2代将軍・秀忠に差し出してほしいと要請された。
家康からも同じ意向がもたらされたので、呂祐吉たちは帰路に駿府で家康に会うことにした。
そして、無事に江戸城で国書伝達を終えた呂祐吉たちは、帰路に清見寺に宿泊した。
家康のはからいで遊覧船が用意され、通信使の一行は海上から三保の松原の景色を堪能した。
それから、駿府城で家康に謁見し、贅を尽くした歓待を受けた。その際、家康は「これからはお互いによく通じ合うようにしましょう」と通信使に温かい声をかけたという。この場で信頼関係が築かれ、両国の善隣友好関係の基礎が固まった。
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