文を尊ぶ風潮が強い韓国
韓国の新聞で特に面白いのが広告。日本の新聞とは様相が違う。たとえば、占い師が顔写真付きでズラリと並ぶ広告はまさに壮観だ。
「この人は、あまり当たりそうもない」
顔で判断されるのだから、占い師もたまったものではない。しかし、占いとは、本来そういうものかもしれない。
振り返れば、『冬のソナタ』を契機に日本で韓流ブームが起きた頃、韓国の新聞社をかなり回った経験がある。写真や古い記事を入手するうえで記者たちに随分お世話になったが、多くの記者に会って感じたのは、「特権意識が強い。プライドが高い。知識欲が凄い」ということだった。
朝鮮王朝以来の伝統で文を尊ぶ風潮が強い韓国では、作家や新聞記者のように文章を書く人は一目置かれる。必然的に、韓国の新聞社に勤めていればプライドも相当高くなる。けれど、ただ自尊心が強いだけではない。学識が高くて、物事をよく知っている。そのうえでの自尊心なのである。
今は韓国の新聞を取ることをやめてしまった。
寂しい気持ちもある。『朝鮮日報』にしても『東亜日報』にしても、あれだけのページ数をめくるだけでも大変な作業だったが、今は、アクが強い記者の独断による論調を読めなくなってしまった。
そうなってみて気づいたのは、「韓国の新聞にオピニオン欄が多いのは、それを読者が望んでいたから」ということだ。
文=康 熙奉(カン ヒボン)