祖母の罪
正祖が口にした「孝章世子」というのは、英祖の長男で思悼世子の兄です。幼くして亡くなったので、次男の思悼世子のほうが王位継承者になりました。
正祖はその思悼世子の長男ですが、父が罪人として米びつの中で餓死しており、そのまま思悼世子の息子になっていますと王位継承の権利を失う羽目になります。そこで英祖は、正祖を孝章世子の養子にして権利を守れるようにさせました。
つまり、形のうえで正祖は孝章世子の息子として即位したのです。しかし、彼は自分のことを「思悼世子の息子」と明確に言い切りました。
これは何を意味するのでしょうか。
「実父を死に追いやった者たちを厳罰にする」
そう言っているも同然でした。それゆえに、老論派の重臣たちは恐怖におののいたのです。
事実、正祖は即位してすぐに、父の死に関係した者たちを次々に処罰しました。その中には、母方の大叔父や父の妹も含まれていました。どんなに身内であっても決して許さなかったのですが、1人だけ手を出せない人がいました。それが、英祖の二番目の正室だった貞純(チョンスン)王后です。
この貞純王后は、立場上は正祖の「祖母」になりますが、年齢は7歳だけ上でした。なにしろ、英祖が65歳のときに迎えた継妃で、そのときに彼女は14歳でした。そして、正祖
が24歳で即位したとき、貞純王后は31歳だったのです。あまりに歳が近いのですが、形の
うえではまぎれもなく祖母にあたります。
この祖母を正祖は処罰したくて仕方ありませんでした。彼女が思悼世子を陰謀に巻き込んだ張本人の1人であったからです。そのことを見抜いていた正祖は、亡き父の無念を晴らしたくて、貞純王后の罪を明らかにしようとしました。しかし、結局は処罰できなかったのです。朝鮮王朝は儒教を国教にしており、「長幼の序」は社会秩序の根幹でした。そんな中で、孫が祖母を罰したりすれば、大きな禍根を残すことは明白でした。即位してすぐに、そんな問題を起こすわけにはいきません。
結局、正祖は貞純王后を不問に付しました。このことが、あとあとになって響いてくるのですが……。
文=康熙奉(カン・ヒボン)
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