豊臣軍の朝鮮出兵
司令官となった李舜臣は、最初に亀甲船の製作に取り掛かった。亀甲船とは、文字通り亀の甲羅に似た船で、船の上を鉄板で覆っている。敵の乗船を防ぐだけでなく、前後左右にある大砲を最大限に生かすことのできるものだった。
1592年、日本から豊臣軍が朝鮮に向けて攻めてきた。朝鮮王朝は、建国してから200年間は他国から攻められることもなく、防御の面がおろそかになっていた。そのため、朝鮮王朝側は地上で敗戦が続いていたが、李舜臣が率いていた水軍は亀甲船の活躍により、豊臣軍の補給を断つという功績をあげた。その功績が認められて、李舜臣は水軍の総司令官に任命された。
しかし、朝鮮王朝が滅亡するかもしれないという危機的状況の中でも、高官たちの内紛は続いていた。その影響で、李舜臣は「日本と内通している」というあらぬ疑いをかけられて投獄されてしまった。彼の母親は、獄中の息子に会うために出かけるが途中で亡くなってしまう。その知らせを聞いた李舜臣は、自らの親不孝を詫びて泣き崩れた。(ページ3に続く)
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