第3回 女性問題で禍根を残した19代王・粛宗
粛宗の在位期間は46年。これは、21代王・英祖(ヨンジョ)に続いて二番目に長い在位期間である。粛宗は王として、生活水準を向上させるための功績を多く残しているのだが……。
派閥党争の激しかった時代
粛宗は、朝鮮王朝18代王・顕宗(ヒョンジョン)と明聖(ミョンソン)王后との間に生まれた。1674年に父親の顕宗が亡くなり、19代王として即位した。13歳という若さで王となった粛宗だが、当時は党争が激しく、王の補佐役の者たちが主導権争いを起こしていた。
たとえ王であっても、党争に巻き込まれれば命を危険にさらすことになる。それを理解していたのか、10代のころの粛宗は党争に深入りせずにおとなしくしていた。しかし、成人してからの彼は王権を強化して、対立する派閥を牽制しながら独自の政治を実現させていったのである。
さらに朝鮮王朝時代は儒教を国教にしていたため、商人は軽んじられて商業も低く見られた。その様子に粛宗は「商業が発展しなければ、人々の暮らしが良くならないではないか」と思い、商業を発達させて貨幣鋳造事業を行なった。
このように名君としての素養を見せる粛宗だが、女性関係では度々問題を起こしていた。党争を鎮めることに疲れ果てていた彼は、女性に癒やされたいという強い思いを持っていたのである。(ページ2に続く)
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