日本のコリアをゆく(広島・鞆の浦編3)

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心にゆっくりしみこむ風景

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心にゆっくりしみこむ瀬戸内海の風景

徳川幕府が倒れて新たに明治政府が誕生すると、善隣外交も転換を迫られるようになった。

朝鮮王朝は友好関係を築いてきた徳川幕府を倒した明治政府を懐疑的に見ていたし、その明治政府が先例を無視して礼を失する対応をしたことで、朝鮮王朝は不信感を募らせた。その中で、両国の関係は一気に冷え込んだ。

このとき、「外交は政権が変わっても不変」という基本原則を明治政府も朝鮮王朝もしっかり保持していれば、その後の状況も違っていたと思われるが、あとで「もしも……」と振り返っても、歴史は変わらない。

ただ、残念に思うことがある。

朝鮮通信使は日本各地を回りながら、日本の文化水準を低く見る傾向があった。そういう態度が、日本の国情を正確に把握するうえで妨げになっていたのではないか。

12回にわたった江戸時代の朝鮮通信使が、善隣友好に大きな働きをしたことは事実なのだが、それが明治維新後の両国関係に寄与できなかったことが惜しまれる。




そんなことを考えながら、ずっと瀬戸内海の景色を見ている。

向かいの島にはコンクリートの建造物も見えているから、朝鮮通信使が見た風景とそっくり同じではないだろう。けれど、海と空は当時と変わらない。私が望んだ青味を帯びていた。

そのとき、向かいの島へ行く渡し船が、スーッと海上を走っていくのが見えた。瀬戸内海はどこまでも穏やかで、そして優雅である。

今は映像を通して世界中の景勝地を堪能できる時代である。ダイナミックな景色を映像で見慣れてしまうと、瀬戸内海の眺めは地味に思えてしまう。絵画のようではあるが、絶景というほどではない。しかし、なぜか心が安らぐ。

「日東第一形勝」

300年近く前、朝鮮通信使の人たちがそう形容した気持ちがよくわかる。美しい風景は、地味なほうが心にゆっくりしみこんでくる。

そのことを瀬戸内海の眺めが示していた。

(文=康 熙奉〔カン ヒボン〕)

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