張禧嬪が死罪になった
1694年の春に張禧嬪は正室から降格したが、その年の秋に淑嬪・崔氏は粛宗の息子を産んでいる。
この王子は粛宗から見れば三男にあたる。
長男は張禧嬪が産んだ王子で、すでに世子(セジャ)になっていた。世子というのは国王の正式な後継者で、今で言えば皇太子に該当する。
ちなみに、二男は1693年にわずか2カ月で早世した永寿君(ヨンスグン)だ。『テバク』ではこの永寿君が死んだのではなく捨てられたのだ、という設定にしている。それがテギルというわけだ。
また、淑嬪・崔氏は粛宗の三男を産んだのだが、異母兄がいたので世子にはなれなかった。それがヨニングンである。最終的にヨニングンは景宗が亡くなったあとに21代王・英祖(ヨンジョ)として即位した。それは1724年のことだ。
『テバク』第3話の後半では、1694年から20年後が描かれて、主人公のテギルが大人に成長していた。しかし、その20年の間には、さらにいろいろな出来事があった。
大きな事件があったのは1701年だ。復位した仁顕王后が夏に亡くなると、張禧嬪が呪い殺すための儀式をしていたことが発覚。結局、張禧嬪は死罪となってしまった。
その際、張禧嬪の所業を粛宗に知らせたのが淑嬪・崔氏だと言われている。
仁顕王后が亡くなり、張禧嬪が死罪になったあとでも、粛宗は淑嬪・崔氏を正室にしなかった。それどころか冷遇するようになった。強い不信感を持っていたからだと推定される。
テギルが20歳になったと設定されている1714年には、粛宗も淑嬪・崔氏も存命だった。『テバク』では、その後の2人がどのように描かれるのだろうか。
(文=康 熙奉〔カン ヒボン〕)