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カテゴリー:韓国の近現代史
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6月民主抗争!韓国を劇的に変えた1987年(後編)
全斗煥(チョン・ドゥファン)と金泳三(キム・ヨンサム)の会談が実現したのは1987年6月24日だった。この席で金泳三が4月の大統領特別談話を取り消すことを求めたのに対し、全斗煥も「改憲論議を再開するこ… -
6月民主抗争!韓国を劇的に変えた1987年(中編)
1987年6月10日、ソウル市では、膨れ上がった学生デモ隊が都心部に繰り出し、路上に座りこんで「独裁反対」を叫び星条旗を燃やした。これに対し、戦闘警察は催眠弾攻撃をかけ、双方の激しい攻防が続いた。また… -
6月民主抗争!韓国を劇的に変えた1987年(前編)
1970年代から1980年代にかけて、韓国は自由を犠牲にした代償として経済的には飛躍的な発展をとげた。しかし、国民の生活が徐々に豊かになっていっても、在野勢力の不満は一向に解消されなかった。強圧的な取… -
「三・一独立運動」とは何か
2019年3月1日は、「三・一独立運動」から100周年の日である。この「三・一独立運動」とはどんな歴史なのか。起こった出来事を振り返ってみよう。 [caption id="attachment_… -
韓国はなぜ分断国家になったのか
朝鮮半島が日本の植民地支配から解放された1945年8月15日から大韓民国が成立した1948年8月15日までの3年間に、果たして何が起こったのか。朝鮮半島が南北に分断されていく過程を振り返ってみよう。 … -
韓国は日本の植民地時代をどう生きたのか(後編)
1926年には、朝鮮王朝最後の王だった27代王・純宗(スンジョン)が亡くなりました。6月10日に国葬が行なわれましたが、その際に「独立万歳」を叫んだ学生たちと日本の官憲が衝突しました。再び抗日運動が激… -
韓国は日本の植民地時代をどう生きたのか(前編)
1910年8月22日、日本と大韓帝国の間で「日韓併合ニ関スル条約」が調印されました。この条約は8月29日に公布され、同時に、518年続いた朝鮮王朝が滅亡しました。朝鮮半島に朝鮮総督府が置かれるようにな… -
韓国はなぜ日本の植民地になったのか(後編)
閔氏(ミンシ)亡きあと、朝鮮王朝には親日政権が誕生しました。しかし、1896年2月に高宗(コジョン)はひそかに王宮を脱出してロシア公使館にたてこもり、親日派の高官たちを次々に処罰しました。以後、朝鮮王… -
韓国はなぜ日本の植民地になったのか(中編)
日本の朝鮮半島への介入において、先兵のように動いたのが軍艦の雲揚号でした。この雲揚号が1875年9月に、朝鮮王朝の国防の拠点とも言える江華島(カンファド)の沖で挑発的な行動を取りました。朝鮮王朝側も応… -
韓国はなぜ日本の植民地になったのか(前編)
朝鮮王朝は1392年に建国されてから518年間続きましたが、1910年に滅亡しています。それは、朝鮮半島が日本の植民地になったからです。そこに至るまでには、どういう経緯があったのでしょうか。3回にわた…